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    初めての信州北アルプス登山 №9 

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    人はなぜ山に登るのか?
    そもそも、登山というものはいつ頃から始まったのだろう。
    そして、誰が始めたのだろう。こんなにしんどい思いをしてまで、なぜ山に登

    るのだろうか。僕はその単純な疑問を知りたくて書店へ行き「登山の誕生」(小泉武著 中公新書発行)という本を探し出して読んでみた。

    本にはこう書いてある。

    人は、なぜ山に登るのだろうか。
    私たちはいま、当り前のように山に登り、山を楽しんでいて、これについて考えることはほとんどない。

    登山が好きなことでは一、二位を争うイタリア人にしても、イギリス人にしても、つい200年ほど前までは誰も山に登ろうなどとは考えてもいなかった。

    人が危険を冒してまで山に登る理由はなんだろう。それにはいくつかの理由があるらしい。

    一つ目は「何かを征服したい」という欲望。

    人類は強敵に対してはなんとかこれをやっつけたいと考える。なにかいい物があれば、ぜひこれを手に入れたいと思う。


    二つ目は「未知へのあこがれ」

    山の向こうには何かがあるに違いない。それを探ってみたいという人間本来の本能。


    三つ目は「冒険愛」

    登山家は通常わざわざ危険や困難を求めて山に登るわけではない。
    しかし、登山家の中にはあえてそれを求める者もいる。
    危険や困難を克服し、自分の技術や忍耐力、勇気をを試すのも、登山の魅力のひとつである。

    四つ目は「山の魅力に触れる」

    山の荒削りの美しさや思わず息を飲むような景観に見とれているうちに、いつしか登山家は自然と一体になった自分を見出す。時には宗教的、神秘的ともいえるような体験すらすることができる。


    そもそも人間が山に登り始めたのはいつ頃のことなのか。
    古来ヨーロッパにおいて、山は悪魔の棲家(すみか)として忌み嫌われていた。

    一方、日本人にとっては聖地であり、信仰にもとづく登山は古くから行われていた。
    だが、近代的登山が発祥したのは200年ほど前のヨーロッパで、楽しみとしての登山が日本で普及するのはそれから100年後の明治末期になってからである。

    わが国では登山の起源はかなり古そうで、少なくても縄文時代までさかのぼるようだ。

    1930年の6月、長野県諏訪に住んでいた考古学者「藤森栄一」が八ヶ岳連峰にある網笠山(標高2524m)から下る途中海抜2400mあたりで一個の黒曜石の鏃(やじり)を拾った。
    ここは山頂に近く、鹿やイノシシなど狩の獲物が生息する標高を遥かに超えている。

    このことからみて藤森はこの鏃の落し主は狩猟を目的として登って来たのではなく、やはり山頂を目指してやって来たのだろうと考えた。

    これがわが国の登山第一号と見なされるものである。この登山が何千年前にまで遡るかは、はっきりしないが、事情は藤森が推定したとおりであろう。

    そして、そこには彼らにさまざまの恵みを与えてくれる、山に対する信仰心が先にあったとしても、それ以外に山頂に立って辺りを見回し、山の向こうにあるものを見てみたいという、好奇心のようなものが間違いなくあったはずである。

    自然に恵まれた日本においては、仏教の伝来以前の宗教は、すべて自然崇拝であると考えられてきたが、自然崇拝はむしろ農業が始まった弥生時代以降に始まった。

    米作を中心に生活してきた弥生人は一定の場所に居住し続けなければならない。時には自然災害に見舞われ、米の生命の危機がしばしば訪れたであろうと推測される。

    稲作は天候に左右され、特に水害には脆い。水田に使用される水は山から流れ出す川によってもたらされる。山は生活を支え、同時に脅威を与える存在として、崇拝の対象になっていくのである。

    それが山岳信仰の始まりである。

    ところで、この当時の人たちははたしてほんとに山を登っていたのだろうか。
    この頃の生活ぶりを知る手がかりは多くはないが、幸いわが国には「万葉集」という上は天皇から下は遊女までの歌をひとつにまとめた世界に類のない歌集があり、おおよそ四世紀から八世紀にかけての時代に、人々が何を考えていたかを知ることができる。

    もちろん圧倒的に多いのはやはり恋愛の歌で、全体の七割くらいを占めているようだ。
    その中で山を詠んだ歌はところどころに現れ、それも恋の歌と掛けたものが多い。

    たとえば、次のような歌もみられる。
    「磐(いわ)が根の疑(こご)しき山に入りそめて山なつかしみ出でかてのかも」
    岩だらけの険しい山に入ってくると、山がいとおしくて、もう山から出ていくこともできない。といった意味である。

    これをみるとこの歌の読み手は山が好きでたまらず「俺たちゃ町には住めないからに」と歌った現代の山好きとほとんど変わらない感覚をもっていたことがわかる。

    また、山部赤人の

    「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ野のなつかしみ一夜寝にける」

    という歌は、春の野にすみれを摘みに来てそこで一晩過ごしてしまったというのだから、ほとんどハイキングの気分そのままである。

    さらに、筑波山に険税使大伴卿という人が登ったときの長歌と短歌が出ている。

    「筑波山を見たいと君が来たので、暑い日に汗をかきかき木の根にすがって登ったところ、男神も女神も喜んでくれて、いつもなら雲がかかったり、雨が降ったりして、眺望のきかない山なのに、国中をはっきりとみせてくれた。うれしいので紐を解いてうちとけて遊んだ」

    紐を解いて、というのがよくわからないが、君というのはこの場合、恋人の女性のことだからセックスをして楽しんだということらしい。
    まことにおおらかなことである。

    筑波山を舞台にした歌にはほかに、男女が集まってうた歌集がある。

    「人妻にわれも交はらむ わが妻に他も言問へ」

    これなどは人妻と交わり、妻に問い詰められたというのだから、もう何をかいわんやである。

    これらの短歌、長唄からみると当時の日本人は男も女も里に近いちょっとした山にはよく登っていたようである。

    もちろんこれは日本アルプスのような高い山に人が登っていたということではないのだが、当時の山が縄文時代と違って生活の場ではなくなっていたにもかかわらず、庶民も含めて山を楽しむという習慣がよく残っていたということは十分にいえそうである。

    初めての北アルプス登山…終わり m(__)m
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