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    初めての信州北アルプス登山  №7

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     「♪~♪~♪~」
    午前5時、携帯電話の目覚ましで目を覚ます。寝袋から抜け出し起き上がる。
    昨夜は眠り始めてから4時間後の午前1時頃に目を覚まし、トイレに行った。そのとき急激な悪寒に襲われ体が震えた。

    風邪を引いたのではないかと不安が走ったが、朝、目覚めるとその気配はない。ホッとする。
    隣を見ると修はまだ鼾を立てて寝ている。
    僕はすぐに窓の外をみる。窓の外は夜が明けて、白々としている。

    ゆっくりと立ち上がり窓に近づき外を見る。空には晴れ間が見えた。

    (晴れている。やった)

    僕は修の体を揺さぶり起こす。
    「修、起きろ、晴れているぞ」
    修は眠たそうな顔をしながら言う。
    「何時?」
    「もう5時や。さあ、朝ご飯を食べて6時には出発するぞ」
    「もう、起きるのか」
    「朝日を拝むんや。ご来光を見るんや」

    僕は朝日が見える状態かどうかを確かめる為に部屋を出て小屋の外に出た。
    東の空を見上げると空は厚い雲に覆われとても朝日が見える状態ではない。

    窓から見えた青い空はほんの一部の空だった。しかし、雨は完全に止んでいる。
    視界も昨日よりずっといい。これなら充分登れる。僕は嬉しくなってきて思わず、空に向かって拳を上げて叫んだ。

    「ウッシャ、登るぞ~」

    それから部屋に戻り、修と食堂に向かい朝食を済ませる。
    朝食は、アユの南蛮漬、卵焼き、お漬物、海苔、そしてご飯とお味噌汁。
    僕は昨日と違い猛烈に食欲が増しご飯を2杯も平らげてしまった。体調もすこぶるいい。これなら大丈夫だ。
    修も相変わらず食欲旺盛だ。これなら二人とも大丈夫だ。
    食事を済ませドライルームに乾かしていた衣類を取りに行き、出発の準備を済ませるころには時計は午前6時を回っていた。

    「さあ、修、行くぞ!」

    僕たちは小屋のおじさんにお礼を言い、リュックを担ぎ小屋を出た。

    小屋を出ると、右手の方に常念岳山頂がはっきりと見える。
    常念岳頂上は異様に大きく僕たちの前に覆いかぶさるように立ちはだかっていた。

    頂上までの山腹には木はほとんど見当たらないものの、所々芝生が生えているように緑がかった場所が見える。

    「修、見ろよ。すごいなあ」
    「ほんとだ。昨日の風景と全然違うなあ。圧倒されてしまうなあ。あれ?もう登っている人がいるぜ」

    よく見ると山の中腹あたりに、米粒くらいの大きさに見える人達が列を作って登っていく姿が見える。

    「ほんまや。まるで蟻の行列みたいや。それにしても、みんな早いなあ。修、がんばれよ」
    「任せておきなさい。今日は調子がいい。頂上到着までの時間はどれくらい?」
    「登山ガイドによると、1時間の道程や。しかし、1時間15分は予定しておこうか」
    「じゃあ、1時間30分だな。祥夫の言う時間は15分から30分は多めにみておかないと」
    「…………」

    常念岳は標高2,882m。

    僕たちは初めて3,000m近くの山に登る。幼い頃から夢にまで見た北アルプスの山々。頂上から眺める景色は一体どんな風景なのだろうか。僕の胸は期待で高まっていた。

    そして、僕たちは登り始めた。

    小屋から眺めていた頂上への登山道は砂利道のように見えていたが、歩き始めてしばらくすると、足元の登山道の砂利はこぶし大の大きさの石に変わる。

    登り始めて気が付いたことだが、登山道の傾斜は麓から見ていたときよりも、かなり急な勾配で周りはこぶし大の石の集まりで、その石ころの隙間から低木の緑の木が生えている。ハイマツという高所に生える松の木の一種である。

    歩き始めて30分が経過すると修は少しずつ遅れてくる。時折立ち止まり修をちながら、登って来た登山道を振り返る。

    はるか眼下には常念小屋が見える。そして、視線を上げていくと、そこには標高2,600mの横通岳がそびえている。

    更に、はるか彼方を眺めると雲の合間から標高2,900mの大天井岳が見え隠れしている。大天井岳の更に背後には燕岳が見えるはずだが今日は雲に隠れて見えない。

    昨日登って来た一の沢付近の登山道も雲に隠れて見えない。

    10分ほど休憩し再び登り始める。登山道は小さな石の集まりから大きな岩の集まりに変わっていく。
    岩の道に変わると登山道は消えてしまう。代わりに岩に赤いペンキで塗られた直径30cmくらいの○印が登山道の目印だ。

    岩をよじ登り、ひとつの岩を登りきると更に新たな岩が待ちうけている。
    足元を滑らさないようにゆっくりと登る。
    下を眺めると、修は10mほど遅れている。大丈夫だろうか。

    彼の靴は登山用の靴ではない。仕事用の安全靴だ、その靴は滑らないだろうか。
    不安になりながらも黙々と岩を登る。

    「ハー、ハー、ゼー、ゼー」
    息が切れ、少し息苦しくなってくる。
    しかし、昨日のような足元がふらつくことはない。気分も悪くはない。

    酸欠状態にはなっていない。大丈夫だ。
    自分の体に言い聞かせながら一歩一歩、足を進める。

    20分ほど登ると眼前に大きな岩が迫り出した恰好で見える。

    思わず立ち止まる。
    登山ガイドにはこんな道は書いてなかった。これはとても登れない。ピッケルとザイルがないととても登れそうにない…と思っていたら、道の表示の○印はその岩を回り込んだ横のほうにある。
    ホッとする。

    岩を回り込むように登ると岩の上に到着した。そこは6畳ほどの広さがあり、周りが開けている。
    そこには先着の男性(50代前半とわれる)が一人、カメラを持ち、盛んにシャッターを切っている。岩の上に登りきると僕は挨拶をする。

    「こんにちは!ここが頂上ですか?」
    「ああ、こんにちは。ここは頂上ではありません。頂上まではあと15分くらいです。大丈夫ですか?だいぶ登るのに苦労していましたね」
    「ええ、お恥ずかしいです。実は今日が始めてなんです。北アルプスを登るのは」
    「そうですか。それは、それは」

    僕はリュックを下ろし、周りを眺めた。周りを見た瞬間、僕は絶句する。

    (雲海だ!)

    そこには、僕が夢にまで見た雲の海……雲海が広がっていた。

    「凄い」

    僕は隣にいた見知らぬ男性に思わず声をかけていた。

    「凄いですね。これが雲海なんですね」
    「始めてなら余計に感動でしょう」
    「ええ、凄いですね」

    僕は体に鳥肌が立つのを感じた。

    しばらく呆然として景色を眺めていた。

     雲海は「横通岳」の東側にある松本盆地をすっかりと覆い隠し、松本市内は雲の下にある。
    雲海の上には更に雲が広がり、眼前に見える横通岳は雲海と更に上にある雲の狭間にそびえている。

    更に西側に視線を移すと穂高連峰につながる。
    しかし、穂高連峰の方は厚い雲に覆われて全く山は見えない。
    時折雲が切れ、雲の合間から山の中腹が見え隠れするが槍ヶ岳は見えない。

    (あっ、そうや、修はまだか!)

    僕は修のことを一瞬、忘れていた。
    岩の上から下を眺めると、修は遥か下方の大きな岩の上でカエルのようにへばり付いて動かない。

    「お~い。修~。大丈夫か~」

    僕は声を張り上げた。

    修は返事をするゆとりがないのか、岩にへばり付き顔だけを上げ片手を振っている。

    (おっ、大丈夫や生きている)

    「おーい!早く上がれ~、凄いぞ、凄い景色や」

    それから修は10分後にたどりつくとそのまま岩の上にへたり込んでしまい、周りの景色を見るゆとりがない。

    「ハー、ハー、こんな岩だらけの道とは聞いてなかったぞ。ロッククライミングだよ、これは」

    「それより、修、この景色を見ろよ」

    修はリュックを肩から外し、リュックの中からペットボトルを取りだし、水を一気に飲み干すと落ち着いたのか、立ちあがり景色を眺めた。

    「雲海だ…………」
    「凄いやろう。修」
    「凄い、雲海だ」
    「そう。これが雲海や。飛行機の上からはよく見るけど、自分の足で登った山の上から見る雲海はまた格別やなあ」
    「うん、凄いなあ。ほんとに凄いなあ」

    二人はしばらく雲海に見とれて、言葉を失っていた。

    №8に続く

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